路上の羊

聖書の通読に挑戦中

「書くことは祈ること」を体現する人 - アウグスティヌス『告白』

「書くことは祈りの形式である」という言葉をきいたことがある。祈りの行為という意味では、アウグスティヌスの『告白』は最も純粋な著作だろう。

告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

告白 上 (岩波文庫 青 805-1)

『告白』は神に語りかける形式でアウグスティヌスの人生とその果ての信仰を記述した著作である。そのあまりにも奇妙な文体はしばしば非常に小説的であるとして取り上げられる。私は保坂和志が『小説の自由』でしきりに引用していたのをみて、本書のことを知った。

今回、本書を手にとってみて非常に印象的なのはアウグスティヌスは自分の幼少の人生について、すべて疑問形で語っていることだ。特に幼少時のことは、自分にははっきりした記憶が無いので、伝聞であることを何度も強調する。アウグスティヌスにとって、これから語ることはすべて神は知っていて、彼にとってはそれを追認することでしかないのだろう。

文章の書き手に求められる最重要にして唯一の気質は、書くことに誠実であることだと思う。物語が虚構であっても、自分が伝えたいことやイメージしたことに嘘をついてはならない。アウグスティヌスは、おそらく書き手の中でもっとも誠実であろうとした書き手なのだと思う。

なぜアウグスティヌスはそこまで誠実であろうとするのか。それはまさしく『告白』が祈りの儀式であるからに他ならない。彼の信仰心が誠実な文章を生んだのである。

わたしはだれにむかってこのことを話しているのか、神よ、あなたにむかってではない。あなたのもとでわたしの同胞を語るのである。わたしのこの書物をひもとくものがどんなに少なかろうと、そのわずかなものに語るのである。それでは何のために語るのであるか。それはわたしとそれを読むものみなが、どんなに深い淵からあなたを呼び求むべきかを考えるためである。実際、告白する心と信仰に生きる生活よりも、あなたの耳に近いものがあろうか。

-- 告白 上 (岩波文庫 青 805-1)』p.49