路上の羊

聖書の通読に挑戦中

創世記:32-33, マタイ:1-5

先日紹介した聖書通読表に従って、今日から新約聖書の通読も旧約と同時並行して行うこととする。

創世記32-33章は、ヤコブが兄エサウのもとへと帰還するまでの話が書かれている。途中でヤコブは真夜中に何者かに襲われ、格闘することになる。実はその格闘した相手は神であり、その際にヤコブは祝福されることとなる。その際にヤコブの太腿の関節が外れてしまったので、それ以来ユダヤ人は関節の筋を食べないこととなった。その後、ヤコブはエサウと再会し、和解し、共に泣いた。

神との格闘のエピソードは正直、ちょっとよくわからない。関節の筋を食ベてはならない理由を述べるにしてはあまりにも豪快なエピソードすぎるように正直思ってしまった。しかもヤコブ、神に勝っちゃってるし。いいのか。全知全能の神を打ち負かしてしまっていいのか。それとも子供相手に相撲をして負けてあげるという類の配慮を神様はなされたのだろうか。よくわからない…………。

ヤコブとエサウの再会の場面には、簡潔に書かれているが心を動かされた。ヤコブの人生の物語は、愛の物語だと考えるのがしっくり来る。ヤコブはあまり意識しないままにエサウの立場を危うくさせて、エサウからの怒りを買う。ヤコブは長い時間をかけて、兄からの愛を取り戻すために放浪したのだ。アダムとエバ、カインとアベル、ノア、ロト、アブラハム、イサクといった人びとのエピソードからはヤコブとエサウの間にあるような愛情はあまり読み取れない。特に兄弟という点では、カインとアベルのエピソードとは対照的だ。聖書がこのような展開になっていることを、キリスト者はどう読み取っているのか、心が動かされただけに気になった。

一方、新約聖書のほうは、旧約に追いつくべくマタイによる福音書の第1章から第5章にいたるまでを一気に読んだ。第5章からは、律法を完成させるために行われたとされる、あの有名な「山上の教訓」がイエス・キリストによって語られる。まだ途中なので、教訓をすべて読み終わってから感想を述べたい。