路上の羊

聖書の通読に挑戦中

創世記48-50, マタイ15:1-28 - 創世記ついに終わる

今日で創世記の通読が完了した。最後は死につつあるヤコブにヨセフが会いに行く話。ヤコブの、生きているうちにヨセフに会うことはないと思っていたのに、いまや孫にまで会えて嬉しいと言う場面には、アブラハムの家系の長い物語を想起させて胸に来る。聖書通読を始めるまでは、創世記といえばアダムとイブの楽園追放や、ノアの方舟などの神の業が印象的なエピソードを重視して考えていた。しかし今こうして創世記を読み終えてみると、創世記はやはり人間の物語なのだと思う。聖書全体を考えるとアブラハムやヤコブやヨセフの物語はキリスト誕生までの大きな伏線という位置づけなのだと思うのだけれど、私には家系の歴史に垣間見える人間の感情に心を打たれた。罪とは恐ろしい存在なのではなくて、人間が背負ってきたもの、人間を理解するときに無くてはならないものなのだ。それが、ヤコブやヨセフの切ない物語を通してすっと受け入れることができたような気がした。

出エジプト記はどのような物語になるのだろうか。事前に得ている知識は脇においてしばらくその物語の世界に身を委ねたい。