路上の羊

聖書の通読に挑戦中

クエーカーについてのメモ

クエーカー(信者の間ではキリスト友会と呼ぶらしい)は、キリスト教の中の禅宗とも呼べる特殊なプロテスタント教派である。 いわゆる「プログラムのないクエーカー」と呼ばれる元々のコンセプトに近いグループは教会に属さず、牧師を置かず、代わりとなる集会では向かい合って沈黙し瞑想する。聖霊からの導きがあったと感じた信者は立ち上がって聖霊からの言葉として他の人びとに告げる。 他の教派に近い「プログラムのあるクエーカー」の集会では賛美歌や牧師による説教があるらしいけれど、プログラムのないクエーカーはそういったキリスト教的要素がほとんどない。

信仰の核となるのは「内なる光」である。神はそれぞれの身体の内側に存在している。内面から語りかけてくる言葉を待つよう瞑想することが最も大事な信仰のスタイルであると考える。

また、すべての人の内面には神がいるので、他の教派とは異なり、すべての人が救済されると考えているらしい。その思想のゆえか、クエーカーは公平であることを重視して差別撤廃運動や平和活動に熱心である。男女平等を早期から提唱していることでも知られている。

日本では新渡戸稲造が信仰していた教派として知られている。神谷美恵子もクエーカーに対する関心を寄せていた。また、現天皇の家庭教師はクエーカーであった。教義に厳格でなく、公平である点が日本には親和性があるのかもしれない。

クエーカーの信仰スタイルは私の考える理想の信仰の姿に近い。やはり仏教になじみがあるからなのか。