路上の羊

聖書の通読に挑戦中

ブログを書くのは、鏡の前に立つことと似ている

「ブログはじめたいなと思ってます、アドバイスください」 - インターネットもぐもぐ

一番大事なのは「自分が当たり前だと思っていることこそ丁寧に書く」、だと思います。とにかく個人的なことを、地に足をつけて書く、それに尽きる。有名人でも専門家でもないんだもの。生活ぶりや考え方に息遣いを感じる「一般人」になりましょう。かっこつけて書いたって読み手はきゅんとこないんです。まじでまじで。

 

そういう個人的な見解や思考をあたためる文章書きはじめるときに一番大事なのは「自分が書きたいことって結局なんなんだろ?」を自覚することなんですよねえ。

シンプルだけど、このアドバイスは自分がなかなかできないことを言い当てているようで心に刺さった。

普通の人として、生活感のある文章を書くことができない。今まで私は、場所を変えつつ10年ぐらいはブログに記事を書いてきた。しかし、その中にいくつ私の息遣いの感じられる文章は数えるほどしか無い気がする。

考えてみれば、私はそういう生活感や自分の息遣いをできるだけ取り除こうとしていたのだと思う。私にとってそういう要素は、ブログ記事の価値を下げるものだと思っていた。どこか自分の生き方を否定しているフシがある。

でも、「自分が書きたいこと」を考えてみると、それはやっぱり自分のことなのだと思う。自分の生き方を書くことで肯定をしたいというか。毎日の中で感じていることが消え去らないようにしておきたいというか。

鏡の前に立つときは私はいつも一度うつむいてから鏡に向かい合う。自分の顔をみるときの、あの一瞬の違和感に不安を感じるからだ。自分の顔を確かめたい。でも、俯いている。何気ない動作の中に現れたこの一瞬の矛盾が、書くということの適切な比喩になる。間延びしてディスプレイに映る、確かめたいのに確かめたくなくて偽装する。私が今まで書いてきたブログはそういうものだとおもう。

別に思い切り書いたからといってなにか特別なものがあるわけでもない。普通の人として、思い切り自分の何の変哲もない内面を表せればなと思う。

今はキリスト教のことをメインテーマに据えたこのブログだけれども、自分がてらいなく記事を書く最初の場になれればいいなあ。